数年前に、行く先々で人と話したことを録音していた時期がありましたが、その頃から対話することのおもしろさを知ることになりました。
当時から尊敬する河合隼雄さんのカウンセリングの仕事を本などで読んでいた影響が大きいのですが、「個人の物語」を理解しようと、他者の心に「寄り添うこと」の難しさ、おもしろさを学び始めていたように思います。
人の心に「はり」を持ってもらうこと、、他者となにかする時にボクが一番力を入れるところはここです。最初の「ボタンをかけた」そのポイントが重要だと思っています。話す時も同じく、対話する相手に「はり」を持ってもらうためには、その人の気持ちに寄り添うことが大切になろうかと考えています。
しかし、いつも「はり」を持って生きていれたら幸せですが、大人になればたまにその「はり」もしなだれることだってあります。水や養分を与えてあげないとそのうち朽ちてしまいます。さらに成長すればするほど、それに比例して問題の壁が高くなるのですから、過去の経験が通用しない局面がいっぱいあるのです。
そんな弱っている自分の心を知る時、ふっと思い出すことは、幼い頃のいろんなことに怯えていた自分です。あの弱い心が蘇ってくると、今もなんら成長していない自分の心が情けなくなりますが、でもそれで良いのだとも思います。そんな簡単に人は強くなれるわけではありませんから、、
自分の心に「はり」を持たすためにボクは人と対話します。よく聞き、よく見て、少しでも相手の心を理解できたなら、対話することすべてが自分にむけられたメッセージのようにも感じれる時があります。そうして生まれた「鏡」こそが「裸の心」を映し出してくれるのかもしれません。