2012年4月27日金曜日

十二日間

浅草の奥山風景では朝の10時から店を開けますので、ボクは西荻の家を朝8時半に出ます。満員電車に揺られ9時半には浅草に着きます。コンビニでお茶とおにぎり、たまに朝マックを買って浅草寺に到着します。

屋台の扉をあけ、掃除したらお店のはじまりです。ここは日本有数の観光地ですから、いろんな国の人が通りを歩いています。でも新宿や渋谷のような息苦しさはなくどこかのんびりとしています。いい顔したおっさん、おばちゃんも多くて、大阪天六の町にも似てるように思えます。

屋台の前には有名人を切り抜いた似顔絵の作品を展示していますので、気がついた人はビックリされます。お客さんから頼まれたら、やっとボクの仕事です。鋏を動かしていると人が足を止めてボクの芸を見ています。この5分から10分の間にお客さんがボクの手先をじっと見ているのは、なんとも緊張しますが、この切羽詰まった時間がボクに力を与えてくれます。出来上がるとみな覗き込んで、作品を見たら拍手なんかもいただきますし「名人!」やら「アメイジング(素晴らしいって意味だよね?)!」なんてうれしいお言葉をかけてもらいます。

12日間で延べ300人のお顔を切らせてもらいました。ある男性は「今から亡くなったおやじの法事で田舎にいくんだ。この切絵は良いおみやげになったよ」と言ってもらいました。ある女性は「写真の人も切れるのですか?」と尋ねられ見せてくれたのがおばあちゃんの顔でした。「1年前に亡くなって、、かわいい顔でしょ。切ってくれる?」

300人のそれぞれの方に物語があります。ボクの店の前に通った時、ふっと「切絵してもらお」と思う感じ、、思ってもいない出会いに反応をしてしまう、、その感じ。日常から少しだけズレた瞬間、、人はいろんなことを思い出すのでしょう。

昼は屋台で天丼を食べたり、暇になれば隣の職人さんや占い師さんと話したり、、夕方5時まで働きます。この時間は陽はまだ落ちていませんので、店をかたずけてから浅草を散歩します。近くの飲み屋通りに人はまばらで、呼び込みの女性が声をかけています。ある時、古い喫茶店でコーヒーを飲んで心を落ち着けていました。懐かしい雰囲気の店内を見ていて「ボクは幼い頃、喫茶店の息子だった」ことを思い出したりしました。

浅草の町は旅人ばかり、、ボクもいっしょになって町を彷徨っていた12日間だったのです。

2012年4月12日木曜日

百歳

現在浅草での「奥山風景」というお祭りに参加させてもらっています。江戸の長屋を思わせる小屋が立ち並び、その中の「百歳屋(ももとせや)」と名付けられている場所で切り絵や紙もの雑貨を販売しています。晴れた日にはたくさんの人が来場して賑わいます。 


通りを挟んだところにはてんぷら屋さんが出店をして、お昼時にはたくさんの人が縁台に座って食事をしているのが見えますが、今日は雨でお客さんもまばらです。暇だったので雨と天ぷら屋をぼ~っと眺めていました。二百年前の江戸の町、こんな日にはぼ~っと雨を眺めていた人も今よりはたくさんいただろうと思います。 

東京にきてから上の世代の人と知り合う機会が増えてきました。関西では横のつながりがほとんどでしたから余計そう感じるのでしょう。この「百歳屋」という名前の由来は「親子3代が伝承していく職人の知恵と技、その知恵と技から創られたものは百年間は使える」という精神からつけられました。 

浅草は有名な観光地ですから外国の人も多く、昨日は外国人家族5人まとめて切らせてもらいました。ハサミさばきを魔法でも見るかのようにえらく驚いてたくさん写真を撮っていました。親子の切り絵をするのはおもしろいです。血のつながりは嘘をつかないやと思います。過去から未来へ…技も知恵も血も流れていきます。 

「チャンキーさんの切り絵芸は誰かから教わったものではないんでしょ?」 

隣に座っているさしもの職人の渡辺さんからこう尋ねられました。直接の師匠がいないのは確かなのですが、でもなんらかの力、それは師匠とかの存在ではないけれど、ある日上のほうから降りてきたように感じているのです。それはボクを見守ってくれている存在からだと思っています。 

まあ~まあ~とりあえず、百年やら二百年やら、そんな時間軸の川の岸辺をふらり散歩してみようかなと思っています。

2012年4月7日土曜日

似るは楽し


昨日は家で芸能人の顔を切っていました。 

来週の9日から14日、21日から26日の日程で浅草の浅草寺のイベント「奥山風景」にいぬんこの紙もの雑貨と共にボクは切り似顔絵で参加のため、お客さんへのアピール用に有名人を切ってみたわけですが、苦戦をしたのが安室奈美恵ちゃん。やはり女性の似顔絵というのは難しいもの。さらに芸能人の写真を見ながらですから、なかなか満足いくものができませんでした。アムロちゃんなんて30枚ぐらい失敗をしました。 

できるだけ切らずして似せることができればイイなあと思いますが、まだまだそういう境地ではありませんし、お客さんに細かい処理をするとありがたがられるので、技術をみせびらかしたいという欲が消えません。それでも7、8時間ほど切り続けていたりしますので、ボクは似顔絵を切ることが好きなのでしょう。 

以前から思っていたことで「似てる」と喜ぶお客さんを見てボクも楽しくなるのですが、なぜ「似てること」はおもしろいのでしょう。 

技術向上の為に、駅ですれちがう人の顔を2秒ぐらいで頭の中に描いてみる訓練をやります。これは目の力をつけるためですが、慣れてくるとホントに2秒ぐらいで描けるような気分になるから不思議です。人の顔ってパーツの特徴ではなく、たちあらわれる何かを掴まえることです。その何かを掴まえるために、個々の違いを見るのです。 

似ることは「違い」が見えるということで、個性を知ることです。似ることがおもしろいということは、個性はおもしろいということです。個性は何も「特別」である必要などありません。生まれついてみな違うし、違う生き方をし、どんな人も個性的でおもしろいのです。 

たくさんの人が存在することで、個性はその数だけある。おもしろいことは星の数ほどあって消えることはありません。だから楽しく生きてゆけるのです。 



奥山風景 案内図 こちらの 百歳屋とゆうところです。

2012年4月4日水曜日

ひとつ屋根の下で



ボクが1年前から住んでいるここ西荻マンションは、3階建てに住民9家族が住んでいます。マンションといっても築40年以上と年季がはいっていますが、小さな庭には桜の樹があったり、駅から徒歩7分と立地条件も良いとこです。初めて見た時に「ここなら住めるかな」と思い、契約したことをおぼえています。

ボクが2階の部屋を借りたその少しあと、一階にはカップルが入居したようでした。カップルの男性が音楽家で、ボクらの寝室の下をスタジオにして音をかなでていました。去年の夏ごろから少し話しをするようになって、このごろはお互い部屋を行き来する仲になっています。彼のあだ名は「ポール」。ポールスミスが好きだったことからそのニックネームとなったようです。

「大家さんとバンドを組んじゃった」

西荻マンションの大家さんは鍼灸院を経営しながら、なにやら屋上にソーラーシステムを設置し電気を作っていることを教えてくれたのがポールでした。他にソーラークッカーという手づくりの装置で太陽熱を利用してお湯を沸かし、そのお湯でコーヒーを飲んでいる、、これは素晴らしいとボクもそのモーニングコーヒー仲間に入れてもらいました。

平日の昼間に男3人集まって、お湯を沸かし、コーヒーを飲んだり、どんべえを食べたり、焼き芋を焼いたり(焼くのに1時間かかりますが)そんな平和な景色を是非唄にのこしてみようと3人で制作しました。

なんともゆるい世界ではありますが、同じ屋根の下で暮らしもの同士で唄を作るなんて珍しいかと思います。ユニット名はわかりやすく「ひとつ屋根の下」。かのビートルズはおおやけの場での最後の演奏がロンドンのビル屋上でした。そしてボクらは西荻の屋上から始めたいと思います。

「ひとつ屋根の上で大家さんといっしょに」

世代もバラバラな3人がひとつ屋根の下で暮らし、屋根の上で唄う。ちょっとばかしおかしいけど、案外、これからの世には必要になってくる気がするんだなあ。あてもなく、意味も求めず、ここで生まれるもの。そうやって「楽しむ」時間がきっと大事になってくると思うのです。では聞いてください。

ひとつ屋根の下のデビュー曲「ひとつ屋根の上から」。





2012年4月3日火曜日

今はこの道を

夜になって用水路の脇をかるくランニングしました。下を覗き込むと水草が水の流れにそってゆらゆらして、そばで鴨が2羽並んでおよいでいました。 


西荻の夜道を走りながら、もしこの道のむこうが大阪城になっていてもボクはそない驚きもせず、以前のように城を一周し、桜の樹やビルの灯りを眺めて走っていると思います。 

根の張っていない浮き草のような暮らしだからでしょうか。西荻に浅草、渋谷の雑踏を歩いていても、大阪の中崎町や谷町六丁目や新町を歩いていても「今はこの道の上を歩いているだけ」と思うのです。 

「おかめ列車の旅」展示の最終日。外は大雨に強風、春の大嵐でした。夜、搬出して帰宅するといぬんこは倒れるように寝てしまいました。翌日もなんだかボーッと過ごしていました。イベント後はいつも頭のネジが数本ぬけていて、その抜けた穴からすうすうと空気がもれているような気持ちになります。 

翌日、部屋は戻ってきた展示物でいっぱいになりました。昨日までの熱がそこにはのこっています。荷物をほどいて少し整理しました。大きなタコのぬいぐるみが半眼でキッチンのテーブルにもたれています。まだ自分の居場所がわかっていないのか落ち着きがありません。 

ゆうべは近くの銭湯で熱い湯につかっておりました。お風呂からあがり待ち合い室でいぬんこが「さっき地震があったでしょ」と言うのですが、ボクは全く気がつきませんでした。地震のことに敏感になっているいぬんこを見ていると、自分が鈍感なことに気付かされます。いつ地震がおきてもおかしくない…確かにいろいろと聞かされるので頭では理解しているように思うのですが、どうも肌には感じてこないのです。 

ボクがフワフワしている時、どこかではじっと動かないで重しになっているものがあるのでしょう。でなければ世界は不安定ですもんね。命あるものはバラバラに歩みながら、今という同じ時を過ごしている…そう思うとボクはアホみたく安心して眠れるのです。