天才には誰もが一度は憧れるもの。
先日は三鷹にありますジブリ美術館を見学にいきましたが、「こりゃ~すごいや、やはり天才にはかなわない」と宮崎さんの仕事を拝見させてもらいました。30歳後半にはあの名作「風の谷のナウシカ」を創っていたのですから、その才能は恐ろしいものです。
思い返すとボクの30代は音楽漬けの日々でした。楽器もひけない、ボイス訓練もろくにうけていない、そんなアマチュアのボクによく唄わせてくれたもんだなあと、当時付き合ってくれていた音楽家のみなさまには感謝しています。
大阪という土壌は「盛り上がればええやんパワー」で充満にしていますから、ノリと笑いが大切です。ボクの音楽活動では「33」という二人組のユニットと「ぶっきら兄弟」という大所帯バンドがノリと笑いを前面にだしていました。
「33」ではオカノアキラ氏の天才的な笑いのセンスと音楽知識の豊富さが武器でしたし、「ぶっきら兄弟」は数十人のメンバー個々のぶっとんだキャラクターに、ノリとパワーで押し切る音楽が売りでした。そのどちらともにライブはお祭りでした。お祭りを盛りあげるのにボクは毎回必死で、ときおり頭の中のネジが数十本抜けたな、と思うこともありました。
「天才だったらなあ~」ともよく思っていました。声がものすごくイイとか、リズム感が抜群だとか、、生まれ持った天性の才能、、それが欲しかった。それがないからもう力技で、人のやらないようなことをやってきたのだと思っていたのです。
でも今思うと、そういうパワーこそがボクをなんとも愉快な存在へと成長させてくれました。唄い、話し、切絵やパフォーマンスをしたり、そのライブという場で、お客さんの前で、ボクの芸は形になっていきました。33に「イチローじゃなくても」という歌があります。40歳になって創りました。
おれはなにかをやるために生まれてきたのだろうか?
おれの使命ってなんやろかって?
イチローじゃくても、天才じゃなくても、、
この姿で、この歌を唄う、そんな自分の存在がおもろく思えてきたのです。