2011年6月8日水曜日

紙切り似顔絵のようす

ゴールデンウィークには各地のイベントで
約二百人切らせていただきました。
今迄で千五百人位は切らせていただいたことになります。

切り絵似顔絵イベントの様子をブログに書いていただいております。
大阪 堺の遊さん  
瀬戸内海 豊島 島キッチンさん ありがとうございました。

チャンキー松本の紙切り似顔絵 のお問い合わせは以下にお願い致します。
aozoratei☆gmail.com (☆を@に変えてお送り下さい)


2011年5月25日水曜日

猫とカモメと坂の驢馬

昨年のことですが、ゴンチチのゴンザレス三上さんのソロCDのPVを制作いたしました。画はチャンキー、アニメーションは、ハセガワさんです。

あなけもの

月終盤からゴールデンウィークは毎日「切り似顔絵」の仕事が続き、延べ160人のお顔を切らせてもらいました。さすがに右肩に痛みが走り、こりゃ~やばいなあ、、と思いましたが、ある時、不思議と痛みが引いて驚くほど手が勝手に動くというランナーズハイならぬ切り絵ハイになりました。 

そんな中、もう一方で「あなけもの」という絵本を制作しておりました。「2人のビッグショー」で共演させてもらっています小説家の「西田俊也さん」に無理矢理お話を考えてもらって、ボクが絵を、そしてデザインを「バイエル」のオーナー梅田くんという3人のコラボレーションとなったのです。 

お話の背景となっているのは現在の福島県あたりで、原発事故のために廃墟となって町にのこされたペットたちが、ある穴へと逃げこんだところから話は始ります。 

絵本を作るきっかけはいぬんこが「原発のことについてなんらかしらの表現をすることがタブーになりつつあるのはどうしてだろう?」という疑問符からでした。 

主人公を猫にしたことは人間だと重過ぎることもありましたが、ここにきてもう一度「キャラクター」についてボクが考え直すことでした。日本人はいたるものに「心」を入れることが得意なようで、キャラクターが生まれやすいのだと思います。ここ数十年ほど「かわいい」「ゆるい」「やさしい」キャラクターが好まれ、たくさんの種類が生まれてきました。 

広告からキャラクターが生まれ、商品となって世をにぎわしていましたが、どうもそこも行き過ぎた感があるように思えていました。肝心の商品はおいといても、おまけであるキャタクターがなんだか主となる現状はどこか変に思えます。 

イメージを使って人の心を揺さぶるのがボクらの仕事です。ただそのイメージがなにか得体のしれないものに使われ、誰かの気持ちを動かしていることも間違いありません。ボクはもう一度自分の仕事を考えるためにも「あなけもの」というキャラクターを使った絵本を作ってみたかったのです。 

ストーリーがキャラを動かし、育ててゆき、見た人が心を入れてくれるもの、、まずはこうして動き出したあなけものたち、、これからまたどうなってゆくのかが楽しみなところですが、まず第1話を手にとって読んでいただきたいと思います。 

現在大阪では玉造の「バイエル」と奈良の「カナカナ」におかせてもらっています。東京では今週水曜日から来週の28日まで(23日は休郎)目白のブックギャラリー「ポポタム」で「あなけもん画展」というグループ展のなかで販売させてもらっています。 

そして明日、21日土曜日は夜7時よりポポタムにてライブイベントがあります。ボクはいぬんこと「青空太郎」で参加します。他に京都から「ビッケさん」、ブラジル音楽に深く精通しております「ケペル木村さん」のバンドと3組での出演です。是非いらしてくださいね。
http://popotame.m78.com/shop/

2011年4月29日金曜日

そう、君ならなんとかできる。

おびえすぎたりせずにしましょう。
想像力を恐怖や不安に使うことをできるだけやめましょう。
今、自分に求められたことに精一杯、力を使いましょう。
今日、経験したことをヒントにして、ひらめきをすぐに行動にうつしましょう。
もうなにもおびえることはないのですから。


気持ちが素直になる時、強くなれるのです。
その素直な心が、素敵なアイデアをキャッチしてくれます。
キャッチしたらすぐに動き、形にしましょう。
迷うことなどなく、夢中になって、、
そうして生まれたふぞろいの果実が、
美しい無限の未来という種を宿した、、私の芸術です。


永井宏さんの歌を聴きながら、うかんできた言葉です。


永井さんの存在がこの世から消えて、やっとボクは永井さんの魂を知ることができたのです。
芸術家の作品がホントに語りだすのは、この世から消えてからかもしれません。


明日は昭和町のお祭りで切り似顔絵してきます。梅田のイーマではボクの切り絵がエスカレータ横のガラスに窓に地下2階から地上4階まで飾っています。小さい作品ですが260点切りました。お近くに来たさいにはどうぞご覧くださいね。

2011年4月2日土曜日

サカトミチ

尾道からのアーティストを呼んでの「サカトミチ」という展覧会を大阪靭本町のギャラリー「月夜と少年」で開催しています。


尾道は遊びにいくたびに「これてよかったなあ〜」と思える場所です。なによりもここに住む人たちのおもしろさに惹かれているのです。


「サカトミチ」では尾道で活動するアーティストたちの作品を展示していますし、現在尾道の空き家を再生して新しい人にも住めるようにするプロジェクトの資料なども展示しています。


そして今夜6時よりイベントをします。ボクは「スパイスの嵐」というバンドで参加します。空き家再生プロジェクトの「豊田雅子さん」のトーク、ミュージシャン「keikiさん」「永井真介さん」のライブがあります。


フードは尾道から「ネコノテパン工場」のパンと「スパイスの嵐のカレーに「junkocake」のおやつセットで800円で販売します。


入場料は2000円となっております。是非遊びにいらしてくださいね。

2011年3月29日火曜日

新しい絵

例えば過去に見たアニメ、映画、テレビには街が壊れ、得体の知れない恐怖、汚染された荒れ地が描かれていましたし、そこで立ち上がるヒーローを見てボクらは心を震わせたものです。


今、この日本で起こっていることが、なぜか昔にも見たようなそんな錯覚を起こすのはこれが原因だよな、と友人が話してくれました。やはり表現することは近しい未来を予言するのだと感じました。


とてつもなく大きな津波がボクらの心のある部分を飲み込んでいきました。連れ去られたある部分はまるごと戻ってくることはないかもしれません。それがボクらを不安にさせているのだろうし、以前なら素敵で憧れたものがどうも薄っぺらく思えたりします。


荒れ地から生まれるヒーローも、得体のしれない怪獣も、そのどちらともがボクらの想像力が生み出したものです。想像力は記憶の蓄積、つまりは遺伝子から生まれてくるものですが、今、ボクらを脅かす放射能はその遺伝子を変化させるようです。


「悪いもの、危険なもの、やっかいなもの」


「共存すること」がボクらのこれからのテーマなのであれば、やっかいなものすべてを排除して暗い闇へと追いやるだけではなんの解決にもならない気がしています。そしてこの試練は生きるボクらを新しい次元へと上げるためのものだと感じます。


遺伝子の世界でどんなことが起こるのか?検討もつきませんが、ボクは遺伝子のなかにも「心」のようなものがあると信じていますし、そうでなければ 神様が人間に心を与える必要はないはずです。だから無心に祈ることが、なんらかの影響を遺伝子に与えることもある気がするのです。


桜の樹には新しい花の蕾があたたかな光に呼ばれ、ひらこうとしています。この空の上にはボクらをひらこうとする大きな存在があるのでしょう。だからついボクらは空を見上げてしまうのです。


ボクらの中の眠っている力を、もう一度。
遺伝子にまで響くように、、祈るように、、いつかの未来へと届くような、新しい絵をボクらが描かなければ、、と感じているのです。

2011年3月7日月曜日

あれから

1998年の11月。「チャンキー松本展」 

当時、生まれて初めての個展を天満橋にある「マニフェストギャラリー」でさせてもらいました。小さな会場の壁全面にアクリル絵具で描いた作品をただ並べるだけでした。たいした技術もないボクはとにかくパワー全開で見る人を圧倒させようとしていたのです。「チャンキー松本」という名前を世の中にアピールすることしか考えていませんでした。 

あれからほぼ毎年のように展覧会をさせてもらうようになりました。よく東京でやればイイのに、、と言われましたけど、そない大金を使ってまで、絵に自信もなければ、なによりも面倒くさいなあ〜と思っていました。 

ボクがお世話になったギャラリーのオーナーさんはみな親身になって作品の展示を共に考えてくれました。作家は日々の創作に必死で、展示するその締め切り間近には、展示にたいしてのクリエイティブなエネルギーが落ちていたり、ボクなどは膨大な量の前でどう整理すればいいのか?わからないわけです。そんな時にオーナーのみなさんがいろいろとアイデアを出してくれることに助けられてきたからこそ個展を開くことができたのです。 

最近になってやっと作品も売れるようになりましたが、以前はまったく売れませんでした。企画展なので売れなければギャラリーだって儲かりません。もうしわけなく感じましたが自分ではどうすることもできませんし、そのくせ毎年のように作風が変化してゆきました。自分の心の変化が露骨に作品に現れ、せっかく好評だった作風すらも壊してゆくのですから、それでは売れるはずありません。 

2011年2月。「おいてけぼりの町」 

今回もギャラリー「月夜と少年」のオーナー吉田夫妻と共に展示を考えました。作品の中身と展示との間にブレがない、気持ちの良い個展となりました。この「絵を読む」という展示方法は、お客さんが自分のテンポで絵に向き合えるように、と考えました。そこには「チャンキー松本」という存在が消えて欲しいと思います。絵と向き合うことで、自分の記憶を呼び起こせるような、そんな時間をお客さんに持って欲しいと思っています。 

あと2日間、楽しんでまいります。20日の最終日はボクのワンマンショーです。なんとなく描いたり、読んだり、唄ったりしますので、どうぞ遊びにいらしてくださいね。

プロ

プロという言葉には「前、先取り」などの意味があるようです。仕事などの効率を優先する場合にはこの先を読む力が必要となるでしょう。 

少し先を読んで行動すること、、すばらしい能力だと思いますが、ただこのプロを意味する「先取り」でもって対話すると大切なことを見逃すおそれもあろうかと思います。 

例えば、相手の言うことを先周りして「君の言いたいことはこうだね!」なんて口をはさむ経験が誰にでもあると思いますが、これは注意しなければいけません。話す人の「心の深い所」から浮かんできそうな言葉を聞く側が口をはさむことによって、それが引っ込んでしまうからです。 

心は「浮き」のように水面へ浮かびたいのですが、効率優先の日常では浮かぶことはできず沈みっぱなしです。心という「浮き」がポカ〜んと顔を見せるような、、そんな風景に出会いたいと思います。 

日常のテンポを少し落とし、今この瞬間から得れる、できるだけ多くのものをキャッチし、相手が楽に投げれるようにすること。 

浮かんでくる心を、、静かに待つこと。

おいてけぼりの町

そこはかつての私が暮らしていた町です。 
朝も夕日も夜も海も花も山も坂道も、、そのすべての景色にかつての私がいました。 

3年前の夏のことです。私は島根県にある小さな海の家へ訪れました。そこで私を待っていたものは日本海へ沈んでいく美しい夕陽でした。砂浜に捨てられていたボロ椅子に腰掛け、2時間ほど夕陽が見えなくなるまで、私は空を眺めていたのです。 

その年の春、家のベランダにはシンビジュウムの花が大量に咲いてくれたので、私は花へ感謝の想いを込めて最後の一輪が枯れ落ちるまで毎日、花を描き続けました。 

落ちてゆく夕陽を見つめることが、枯れてゆく花を描くことと自分の中で重なっているように感じました。 

大阪へ戻って、見てきた夕陽を絵に遺そうと絵の具で描いたのですが、どうもピンときませんでした。ちょうどその頃、たまたま友人から「貼り絵の先生をやってくれませんか」と言われ、試作品を作るとこれが楽しくて「そうだ!貼り絵であの夕陽を描いてみよう」と、夏から秋にかけて60点ほどの貼り絵作品が出来上がりました。 

そして2010年の夏、また友人から貼り絵の制作依頼があり、これがきっかけで再度貼り絵ブームがおこり50点ほどの作品が出来たのです。 

2010年は私の環境が一変しました。心おちつける場所をなくし、日々を忙しく過ごしました。この貼り絵を作る僅かな時間だけは、まるで瞑想でもしているかのように心を静めることができたのです。おちつきのない私の心に軽い「おもし」のような役目をしてくれたのが貼り絵でした。 

貼り絵に浮かぶ景色は私がおいてけぼりにした景色です。でもなにかの拍子に立ち止まった時、目の前に現れるような、、どこかで私を待ってくれているのでしょうか? 

その「おいてけぼりの町」では、今でも私が暮らしているかもしれません。 



 ボクの個展「おいてけぼりの町」が2月7日より20日まで大阪靭公園近くにあります「月夜と少年」というギャラリーで開催します。今回は「貼り絵」作品を展示します。ちょっと変わった展示方法で作品を見ていただきます。2月13日の日曜日は終日、誰でも参加できる貼り絵教室をします。参加費は500円です。2月20日はボクのワンマンショーです。夕方6時からちょこまかいろいろとやってみます。こちらは参加費1000円となります。気楽に遊びにいらしてくださいね。水曜日は休廊させてもらいます。

静けさ

先日のこと、滋賀県湖北で活動する若手農家組織「コネファ」のメンバー、清水さんから「冬の湖北もイイですよ。あたりは雪に覆われて、、雪がしんしんと降るのを見るのが好きです。」と聞いた時、冬の湖北に行って絵を描こうと思いました。 

人の顔を描く時、私はその人の中にある「静けさ」を描きたいと思っています。コネファのメンバーはみな楽しい人ばかりですが、絵のモデルになってもらうと独特の静けさを持っていることに気がつきました。ボクはその「静けさ」の源泉を見に冬の湖北へといったのです。 

雪に覆われた田んぼでは作業もできませんから、仕事中もゆったりとした時間が流れていました。田んぼにはたくさんの鳥がえさを探してる姿が見えます。土は静かに眠っているようにも思えますが、きっときたるべき春のために力を蓄えているのでしょう。 

この静けさの中に、新しい力が宿るのです。 

そのコネファと大阪アメリカ村にあるディグミーアウトカフェとの共同企画イベントが開催されます。「農場アート祭」と題して2月3日からコネファのメンバーや活動を写真にした作品やボクは30点ほどの絵を展示します。6日の17時からはメンバーたちとのトークショーに参加します。会場はマルシェあり、野菜を使った料理ありと楽しそうです。入場無料ですのでどうぞおこしくださいね。

2011年1月19日水曜日

おじさんたち

ある町の電気屋さんを通りがかって、その勢いもあって部屋を照らす電灯を持ってきてもらいました。天井に凹凸があって取り付けるのが面倒でしたが、電気屋さんがうまいこと付けてくれました。その電気屋さんがおもしろいことをボクらに話してくれました。

「電気屋って他人の家に入っていくのが仕事みたいなもので、お客さんと信頼関係ができたら色々とこちらに頼んできてくれるわけで、小さなことでいえばトイレの電球1個変えるだけとか、、老人の1人暮らしだと足を滑らすことだってあるからね。花を買いにいったこともあるなあ、、オレ花屋じゃ~ないんだけどね、、ヘヘヘ。引越しなんかもやったりするしね、、刑務所に勤務しているお客さんで、あの仕事って1年ごとに引越しでさ、オレだと引越し業者よりも値段は高いのに、ホラ、信頼してくれてるからさ、、だから忙しいんだよ。」

ちょっとだけ蛭子能収顔したおじさんはそう話してくれました。

外が薄暗くなって商店街を歩いてる途中、アンティークの時計がディスプレイされた店に入ってゆくと、奥から「なにかお捜しですか?」とメガネをかけたおじさんが現れました。店内には古いラジオが見えたものですから、ラジオのことを話題にすると色々と話をしてくれました。

「真空管っていうのはすぐに良い音はでないんだ。つけてから20分くらいしたら良い音になる、、うん、、人の体も同じようなとこがあるよね。趣味がこうじてこんな商売をしている、、凝り性だね。どんなことでも長くやってれば見えてくることがあって、それは全部に言えたりもするよね。」

真空管のラジオから流れる古いジャズの音がボクらを夢見心地にしてくれました。


「こないだある場所で紙切りをしていると横からボクに要らぬちゃちゃを入れてくる子供がいたのでボクは面倒くさいから、あっちいけよ!と嫌がりまして、、」とおっちゃん芸人さんに話すと、「チャンキーさん、それはつっこんでくれているんですよ。もったいないと思って、アドリブでかえせばいいんですよ。そのほうが場が盛り上がるじゃないですか」その芸人さんはニコニコと話をしてくれました。

教えてくれる人はいつだって近くにいてくれます。わざわざ教わろうとしなくても、自然と入ってくるのだと思います。

耳と目と心をひらいていれば、、

2010年12月27日月曜日

はり

数年前に、行く先々で人と話したことを録音していた時期がありましたが、その頃から対話することのおもしろさを知ることになりました。 

当時から尊敬する河合隼雄さんのカウンセリングの仕事を本などで読んでいた影響が大きいのですが、「個人の物語」を理解しようと、他者の心に「寄り添うこと」の難しさ、おもしろさを学び始めていたように思います。 

人の心に「はり」を持ってもらうこと、、他者となにかする時にボクが一番力を入れるところはここです。最初の「ボタンをかけた」そのポイントが重要だと思っています。話す時も同じく、対話する相手に「はり」を持ってもらうためには、その人の気持ちに寄り添うことが大切になろうかと考えています。 

しかし、いつも「はり」を持って生きていれたら幸せですが、大人になればたまにその「はり」もしなだれることだってあります。水や養分を与えてあげないとそのうち朽ちてしまいます。さらに成長すればするほど、それに比例して問題の壁が高くなるのですから、過去の経験が通用しない局面がいっぱいあるのです。 

そんな弱っている自分の心を知る時、ふっと思い出すことは、幼い頃のいろんなことに怯えていた自分です。あの弱い心が蘇ってくると、今もなんら成長していない自分の心が情けなくなりますが、でもそれで良いのだとも思います。そんな簡単に人は強くなれるわけではありませんから、、 

自分の心に「はり」を持たすためにボクは人と対話します。よく聞き、よく見て、少しでも相手の心を理解できたなら、対話することすべてが自分にむけられたメッセージのようにも感じれる時があります。そうして生まれた「鏡」こそが「裸の心」を映し出してくれるのかもしれません。

ポチポチやってます。

ホンマにひょん!なことから知り合いになったおばあさん。それが谷町6丁目にあるからぼり商店街で何十年と和紙の店を経営されている82歳になる「藤尾さん」です。 

10月の後半のある日のこと、、ボクはイイ感じの和紙が欲しいなあ~とハンズやシモジマなどに行ったのですが見つけることが出来ず、あきらめかけて家路にを辿っているとそこに「玉林堂」と名前がついた古いお店を見つけました。 

中にイイ感じのポチ袋がありまして、店番をされているおばあさんに 
「このポチ袋売れるでしょう。」と尋ねるとおばあさんは「いや~売れんわ。この10年売れんわ!」と言います。 

たしかに表から見ても、この店に入りたいなあ~と思わせるような店構えではなく、地味だし、商店街をよく歩くボクもこの店の存在を知らずにいたのです。 

「このポチ袋の絵柄はすべて手刷りやし、それにしては値段も安いんやけど、、売れんわ、、この店も年内で閉めるから、大安売りでもしようか、、と思て、、もう赤字になるけどなあ。」 

「え~それはアカンよ!こんな感じのかわいいポチ袋、若い人は好きやし、売れるって!よし、ちょっと待ってて、ボクが売るわ!」 

それからしばらくして、ルームメイトのデザイナー「弓削さん」と店を見学して、12月なかばから「ポチポチ祭り」と題して1週間「玉林堂」を盛り上げるイベントを作ろう!となりました。 

その期間中に店にある紙を使って作家さんに作品制作をしてもらおう!と毬作家の「布仁美さん」に千代紙を使った毬を、イラストレーターの「玉村ヘビオさん」の特技である「折り紙教室」、墨絵イラストレーターの弓削ナオミさんに「墨絵教室」、書道家「加泉さん」に自分の名前を筆で美しく書く「書道教室」を開くことになったのです。 

藤尾さんはお若く見えます。とても82歳とは思えません。お若い頃、戦時中なのにけっこう裕福に暮らしていたようで、まあ~いってみればお嬢さま育ちかもしれません。いろんな趣味を持っていてダンスに絵に書にと芸術家肌のようですし、店の商品もポチ袋以外には和紙や筆など高価なものばかりです。でも掃除が行き届いていないので中は埃まみれでした。それをイベント2日前には弓削さんと2人で掃除して商品や作品を設置しました。 

ポチポチ祭はすでに始まっています。今週の土曜日18日には様々な教室も開催しています。ボクも似顔絵切絵で参加します。どうぞ遊びにいらしてくださいね。 


ポチ袋もそうですが、年の瀬らしい企画をもう一つ紹介します。妻のいぬんこの絵を使ってデザイナー弓削さんがあなたの年賀状を制作します!という企画です。ご興味のある方は是非こちらにアクセスしてみてくださいね。 

http://inunco.blogspot.com/2010/12/blog-post_10.html