2011年11月25日金曜日

似顔切り絵

11月26.7日午後1時〜5時頃まで
西荻ルーペさんの「ねこ展」にて
似顔絵切り絵しております。
おひとりさま700円。
西荻に散歩の際は、是非お立ち寄り下さい。


沢山の御立ち寄り有り難う御座いました!

2011年11月17日木曜日

いいとも



週末は友人の結婚式に参加するため九州の別府へ行きました。山の中にある神社で式をあげた後は、大きなレジャー施設のようなホテル内での楽しい披露宴でした。 


ボクは友人たちとお祝いの人形劇を披露させてもらいました。こういうのって本番でうけたどうかというよりも「過程」が命です。恥をかくのはわかっ ていますが、みんなであーだこーだと練習する過程で友人との距離がまた近くなれたり、、そんな自分たちのことを「終わらない学園祭だな」と友人が言いまし た。 

翌日からはせっかく九州にきたのだからと、5人で高千穂、熊本の2泊3日の旅にでました。高千穂には日本の神話の発祥「天の岩戸」の伝説が語り継 がれています。ボートで瀧を見たり、神社などを巡り、夜は神楽見学後、普段であれば入ることないだろう「ジャイアンツ」という名の居酒屋 へ入り、そこで地元の人の宴会に遭遇し、なんや切り絵を披露するとたちまち「先生!」と言われ4、5人の顔を切り絵したり、、旅にいくと地元の人との交流 が一番楽しいものです。情報だってネットで得るよりも間違いがありません。 

熊本では携帯電話も圏外となる山深い温泉地での宿泊。リーズナブルなトレーラーハウスで寝泊まりしました。温泉はここが一番良かったです。湯から は地のエネルギーを感じます。水も風も熱も都会では感じることのできないものばかりです。そして阿蘇山ではその広大な景色を前にしてみんな興奮状態。ス ケール感が日常の景色と違いすぎて、馴れるまでに少し時間がかかります。さらにいぬんこは馬にのって喜んでしました。なんとももりだくさんな九州ツアーで した。 

さて、九州旅行が終わった翌日は「笑っていいとも」のあるコーナーに切り絵師として出演してきました。当日は新宿のアルタへ朝9時に入りリハーサ ルをしました。そこで「タモリさんを1分以内で切って欲しい」と言われ、普段は4分ほどかかる(これでも十分早いのですが、、)とこをハショって1分以内 にできるよう2畳ほどのスペースの楽屋で練習しました。 

楽屋で出番待ちをする、、こういう時の心境っていつも変な例えですが「死刑執行される時を待っている囚人の気持ち」と同じかなあ、、と思います。扉の外 から声をかけられ、殺風景な廊下を歩き、ドキドキしながらステージ裏で控え、板一枚隔てた向こうは別世界、、合図で呼ばれて「どうにでもなれ!」と思いな がらステージに飛び出し、なんやバタバタと事が起こって終われば夢のような時間、、死ぬ時もこんな感じじゃないのかなあ。 

まあ~切り絵の出来はどうであれ、なんとか1分もかからず切れたし、タモリさんを間近で見れたことは嬉しいし、なによりも出演できたことが貴重な 経験となりました。たくさんの友人がビックリしているのもツイッターで見ました。本番はどうなるのか?予想できなかったので前持っての告知はやめました。 なんか恥ずかしいですから、、しかし疲れました。心も体も、、仕事とはいえこんなのを毎日こなす売れっ子芸能人の心ってタフだなあと思いました。 

ボクらの「終わらない学園祭」はまだまだ続きます。来週23日は西荻窪の「かがやき亭」でのいぬんこ念願の「瓢楽器の会」が あります。講師に瓢箪楽器の名人「奥田扇久さん」をお呼びして、参加者のみなさんに瓢箪楽器を制作してもらいます。遊びに来たい方は是非ご連絡ください ね。参加費は2000円で午後4時からスタートします。 


そして26、27日の2日間は西荻窪の雑貨屋さん「ルーペにて「チャンキー松本の似顔切り絵」を午後1時から暗くなるくらいまでやっておりま す。西荻駅北口から歩いて8分ほどの、陶芸の店で有名な「魯山」の隣にあるお店です。
(写真は富士チャンにお借りました)

2011年11月7日月曜日

ミドルパッセージ

「ミドルパッセージ」という本を読みました。 

今迄の人生の歩み方を再検討し、後半の人生をどう生きてゆくのか?と人生を見つめ直すという通過儀礼のような時間のことをミドルパッセージと言うのです。 

数日前、友人からの電話で知人の女性イラストレーターがお亡くなりになった、、という連絡をいただきました。ほぼ同じ年齢の人の死ですから驚きましたが、昨日、また違う友人からのメールで20代の頃に仲良くしていた同じ年齢の友人がこの夏に亡くなっていたということを聞かされて、さらに驚いたのです。 

友人はバイクが好きでフィギアを自分で作るのが好きで、顔といい体型といいスターウォーズに出てくる森の妖精「イウォーク」に似ているかわいい男でした。優しい性格の持ち主で、からかっても笑いながら遊んでくれました。同郷の香川県の出身で実家はイリコを干している、、とか話していたことを思い出しました。 

友人とは数年会っていませんでしたが、死の知らせを聞いてからはいろんな記憶が蘇ってきます。そしてやはりさびしいのです。この世にはもういない事実がたださびしいと感じます。 

ミドルパッセージの中で後半の人生では「失う」という経験から学ぶべきことがあるのだと書いてあります。「得ること」に夢中だった過去、これからは「失うこと」から得るものがあるのですから、なんと人生は難しいのでしょう。 

今の私にできることは、この通過儀礼をこえ、新たな私に出会うための旅をすることなのだと思います。この旅を「あの人たち」はきっと応援してくれているだろう…そう感じるのです。